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サッカーフォーラム in 兵庫
第一回「世界のストライカーと語る、世界のサッカー」
第二回「ピッチから見た世界のサッカー」
第三回「世界のサッカー、子供たちに夢を」
第四回「世界のサッカー、頂点に立つのは?」
第五回「世界への架け橋、サッカー!」
第六回(最終回)「ようこそ世界のサッカー、市民みんなで盛り上げよう!」

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サッカーフォーラム in 兵庫
第二回「ピッチから見た世界のサッカー」
■ワールドカップとルールの歴史

――ルールの変遷というのはどのようになっているのでしょう。

賀川: 今は国際評議会と、FIFAが一緒になってルールを決めています。最近はワールドカップが世界中のテレビに映る。そこであまりにも見苦しいファウルがあると困るということで、面白く、かつスピーディに試合を進めるための解釈を、FIFAが指針として審判に事前にだしている。それが多少影響しますよね。ルールというのは、ゲームをより良くしようと、変えていくもの。それで、ワールドカップの時々に変化があるということです。

――イエローカード、レッドカード、PK方式なども今では当たり前ですが、それも大会の都度変遷していったということですね。

賀川: イエローカード、レッドカードはメキシコ五輪で最初に採用され、ワールドカップでの採用は1970年大会でした。PK方式は1976年のヨーロッパ選手権決勝で初めて導入され、ワールドカップで採用されたのはスペイン大会準決勝の時が初めてでした。

――オフサイドの定義の変遷はどうなのでしょうか?

賀川: 古い時代は、ボールより前にいれば全てオフサイドだった。それが1970年代に「ハーフラインの向こう側にいると」と変わり、その後「3人」、1925年に「ボールよりも前、ハーフラインの向こう側に2人いると」になった。オフサイドというのは、言葉の意味から言うと「自分のチームから離れてしまっている」ということ。そんなずる賢いやり方はフットボールには無いという考えから始まったものなのです。

――サントスさんの子供時代のルールはどんなものでしたか。

サントス: 普通のルールでしたが、子供なのでサッカーのルール自体をあまり知らなかった。なので、とにかく手を使わないということでやっていましたね。


■カメラが証明した、正しいジャッジ

――98年のブラジル対ノルウェー戦。バイアーノがフロのシャツを引っ張ったとして主審はPKの判定。この判定が議論を巻き起こし、アメリカ人の審判は批難を浴びました。が、後にバイアーノがフロのシャツを引っ張っている映像がオンエアされ、審判の判定の正しさが証明されました。

賀川: 1次リーグの最終戦です。ノルウェーの長身センターフォワード・フロのシャツをバイアーノが引っ張り、ヘディングできなかったと判定したアメリカ人審判がPKを命じ、得点となりました。しかし、記者席のスタンドから見ると、全く引っ張ったように見えず、記者席備え付けのテレビを見ても、その角度からは見えなかった。審判がアメリカ人だったこともあり、気の早い記者が「間違えた」と騒ぎだしたんです。

しかし、98年からワールドカップの会場では16ヶ所にカメラが設置され、全部の角度を映していた。死角がないわけです。そして偶然にも、バイアーノが引っ張っている事が明らかな映像がスウェーデンのテレビに映り、翌日、フランスのレキップ紙にその写真が掲載されたのです。

「アメリカのレフェリーだから」と、先入観で判断していた人々は黙るしかなく、翌日の新聞で論争は終わりました。FIFAのブラッター会長は「レフェリーはちゃんと仕事をしている」とだけ言っていました。 
サッカーは見る角度によって全然違う。ですから、審判はいかに見える角度、良いポジションにいるかが大事だという、ひとつの例ですよね。 

――このような状況の中で、正しいジャッジを行うために審判は日々どのような努力を重ねているのか。国際審判員の岡田さんにうかがっています。

<岡田氏ビデオコメント3> 審判としての日々の心がけ

審判のためのトレーニングは、試合のほかに週3度ほど、仕事の後にジムに行きます。ジェスチャーは自分で思っているよりも、大きくゆっくりやった方が良い。試合の後はビデオで必ずチェックするのですが、試合中の自分の感覚や気持ちよりもジェスチャーが小さかったりすると悔しいですね。やはり、自信を持って判定していることを周囲に分かってもらうには、ジェスチャーが重要です。

 それから、ルールブックには常に目を通しています。ルールブックは暗記するだけではなく、「ルールの精神がどこにあるか」を考えながら見るのが大事です。それを試合中のプレーにあてはめていき、「このファウルは、この精神に反しているからいけない」と考えながらやっています。覚えることは大事ですが、そこにどんな精神があるのか考えながらする方が良いと思います。



■鉄人・サントスに聞く、現役でありつづける秘訣

――国際主審は定年が45歳。サントスさんは今年41歳になられますが、いまだ現役でらっしゃる。長い間トップにいつづける秘訣など、何かありましたら教えてください。

サントス: 私は小さい頃から、「絶対サッカー選手になるんだ」と思って努力してきました。食事、睡眠などをしっかりとり、そしていつも健康でいられるように神様にお祈りしています。そのおかげで41歳までプレイできているのだと思いますし、まだまだ続けますよ。

賀川: サントスは姿勢が良いし頭も良い。だからできるんですよ。サッカーは頭が大事。サッカーで頭を使うのはヘディングだけじゃありませんよ。

――日本最年長のサッカージャーナリスト、賀川さんの秘訣は何でしょう。

賀川: 他にすることがなくて、ただそうなっただけ(笑)。報道者としての素質が自分にあるなんて考えたこともありませんでした。でもある日ふと考えたのは・・・。
 第2次大戦中、私は陸軍の飛行機乗りで特攻隊にいたのですが、その時のこと、自分が経験したこと、その時の周りの状態がどうであったか、などをよく覚えていたのに気がつきました。まあ、修羅場の中にいて、わり合い冷静に見ていたのでしょうね。サッカーでも選手として試合をしたあとでレポートを書くことは苦にならなかったし、嫌いじゃなかった。
 いわば、ものを見て、それを書くという仕事が合っていたのかも知れないということでしょう。


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■サントス 元ヴィッセル神戸・MF
1960年 ブラジルに生まれる。本名カルロス・アルベルト・ソーサ・ドス・サントス。
 ボタフォゴなど数クラブを渡り歩き、92年にJリーグ鹿島入り。清水を経て、2001年から神戸へ。先を読む力に長けた守備的MFで、"鉄人"と呼ばれた。


■岡田正義  国際主審 
1958年 東京都に生まれる。
86年に1級審判員、93年には国際主審に登録され、98年のワールドカップフランス大会で主審を務める。
高田静夫さんに次ぐ、日本人2人目のワールドカップレフェリー。現在は日本を代表する審判の1人である。市役所勤務を経て、Jリーグ企画部に勤務している。


■辺見康裕 1級審判
1958年 兵庫県に生まれる。
90年に1級審判員登録。Jリーグ主審で、J1の64試合、同副審を31試合担当(2002年5月現在)。
兵庫工高教諭。


■大西弘幸 1級審判
1963年 兵庫県に生まれる。
2001年2月までにJ1の12試合で主審、同35試合で副審を務めた(2002年5月現在)。
県立伊川谷高教諭。

■賀川 浩 スポーツライター
1924年、神戸市に生まれる。神戸一中、神戸経済大(現・神戸大)大阪クラブなどでサッカー選手。全国大会優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などの経験をもつ。1952年からスポーツ記者、1975年から10年間のサンケイスポーツ編集局長(大阪)などを経て現在フリーランスとして、現役最年長記者。
1963年の兵庫サッカー友の会、1970年の社団法人・神戸フットボールクラブの創設メンバー。ワールドカップの取材8回、ヨーロッパ選手権5回、南米選手権1回。1974年から、サッカーマガジン誌上で大会ごとに「ワールドカップの旅」を連載、さらに同誌では2002年の開催前に「マイ・フットボール・クロニクル」として日本の歩みの連載を執筆した。
著者として『釜本邦茂ストライカーの戦術と技術』、監修として「ブライアン・グランヴィルのワールドカップストーリー」(新紀元社・2002年)、その他『サッカー日本代表 世界への挑戦』(新紀元社・2002年)にも執筆している。