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サッカーフォーラム in 兵庫
第一回「世界のストライカーと語る、世界のサッカー」
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第五回「世界への架け橋、サッカー!」
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サッカーフォーラム in 兵庫
第一回「世界のストライカーと語る、世界のサッカー」
■ストライカーの資質

――次はお二人に、ストライカーの資質についてお尋ねしたいと思います。

釜本: いろいろな要素はありますが、最後は勇気です。シュートを打つ勇気。DFは一度ミスしたら終わりだけど、失敗しても次があるのだから思い切りのあるプレーをする勇気。そしてDFに足を蹴られることが分かっていても、飛び込んでいく勇気です。

賀川:
カメラマンと話をしていると、GKとストライカーは特別 だと言う。ゴールに常に背を向けているから。そして常に敵に監視されているのだから、勇気は必要です。 そして次に技術。シュートの型です。


―― 賀川さんがはじめて釜本さんをご覧になったときの印象は?

賀川:彼が中学生のときから話は聞いていました。高1のときはじめて見たときに、後方からのボールをボレーで決めた形がすばらしかった。私のひとつ後輩の岩谷が「ええもん見せます」というから連れて行ってもらったときです。岩谷は体が震えたって言ってました。私は感受性がないのか、震えはしなかったですけど(笑)。 コーチが今ほどよかったわけではないかもしれませんが、自分で工夫してやってましたね。ベルリン五輪の選手達もそうでしたが、1日中サッカーが出来たという意味では恵まれていたといえるでしょう。

釜本: 私は中学に入って野球をやろうと思っていました。ところが先生から野球は日本とアメリカだけ、サッカーは世界中でやっているし、オリンピックにも行けるといわれた。それがなければ今ごろはタイガースの監督やってますよ(笑)。

賀川:早稲田大学の1年の時、王子公園での試合で、「釜本がんばれ」という横断幕が出た。そういう期待、プレッシャーの中で、このゲーム、ここという時に決めた。運もあるだろうけども、引退試合で40歳になって、6万人の中で決めるのだからすごいですよ。

釜本: 点を取るのが自分の仕事。だからアシストも多いですよ。高1のとき、山城高校の監督から点を取れ、その他もしなくていいと言われました。点を取るためにうまくなろうと思いました。

賀川: 関西には昔からストライカーとは縁があって、ベルリン五輪でスウェーデンに勝利したときの日本代表の川本泰三さんは、市岡高校出身。戦後天皇杯で慶應を率いた二宮洋一さんは神戸の出身。今はヴィッセルにカズがいますね。

釜本:高校では点を取っても、とり方が汚いと怒られた。きれいになれと言われました。早稲田ではどんな点でもいいから決めろと言われました。そのときの自分に合う表現で指導してくれましたのですね。どうやったらうまく蹴れるか工夫しました。今の選手は本当によく走っている。でももっと正確に蹴れなければいけないと思う。僕は走るのは嫌いだったけど、蹴る練習やヘディングの練習はした。GKの練習と同じで、センターフォワードは特別 な練習をしなければいけないと思います。 特に若いうちは数を蹴らないといけない。怪我をするのは弱いからです。もっと強く、激しく蹴る練習をする必要がある。

賀川: 伸び盛りにクラマーにめぐり合ったのも、メキシコの年にドイツに留学したのも、プラスになっている。現在はフィジカルトレーニングは発達したが、ボールを蹴ることで体を強くしなければいけない。先日北京にクラマーを訪ねましたが、彼もボールを扱って強くなることが必要だと言っていました。

――その努力の結晶が、68年のメキシコ五輪での銅メダル、そして得点王に結びつくわけです。


▲▼メキシコ五輪でのシーン
賀川: 銅メダルは、長期にわたる合宿、高地順応の成功なども大きかったけども、点を取れる人がいたことが大きい。皆で彼のところへボールを持っていこうと工夫しました。今や協会の会長になった岡野コーチが、杉山から釜本に一本の糸がつながっているようだと言っていました。

釜本:   一人一人は、練習のないときはバラバラでしたが、集合時間には5分前にきちんと集まるというチームでした。大会前に負けたメキシコに勝つために工夫をして、皆で約束事を実行して2本のシュートで点を奪いました。 今の代表も、いかにカウンターで点を取れるかがポイントでしょう。守備をきちんとやって、1回のチャンスでゴールを取れるか。前の選手は、点の取り方をもっと考えてほしい。ボールを支配されても点を取られないという、組織での守備はできてますよ。   

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■釜本 邦茂 日本サッカー協会副会長
1944年 京都、太秦に生まれる。
太秦小学校、蜂ヶ岡中学から山城高校に進学。 熊本国体で優勝を飾り、全国に名を知らしめる。早稲田大学に進学後は、関東大学リーグで4年連続の得点王、64年天皇杯優勝などを果 たし、同年に日本代表入り。東京五輪ではアルゼンチンを敗り、ベスト8に進出した。
卒業後はヤンマーに入社。2度目のオリンピックとなった68年のメキシコ大会では6試合で7得点を決め、得点王に輝くとともに、チームを銅メダルに導いた。ヤンマーでは71年の天皇杯優勝から5シーズンの間に日本リーグ優勝3回、天皇杯優勝2回。
13年間にわたり活躍した日本代表では241試合で158ゴール。
ユース時代から、世界選抜で記録したゴールは、548にのぼる。日本サッカーが生んだ、史上最高のストライカーである。

■賀川 浩 スポーツライター
1924年神戸生まれ。
神戸一中(現神戸高校)、神戸商大(現神戸大学)、大阪サッカークラブなどの黄金期に選手として活躍。全国大会優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝など。1952年から新聞社のスポーツ記者となり、ワールドカップ6回、欧州選手権4回、コパ・デ・オーロ、南米選手権などを取材し、現役ジャーナリストでは最年長。
現在はウェブサイトFCJAPAN(http://www.fcjapan.co.jp)にて「KAGAWA SOCCER LIBRARY」を主宰。過去の著作を公開すると同時に、それに付随するデータやメモと共にデジタルデータ化して、サッカー界の知的財産を集積している。専門誌ではサッカーマガジンにて「マイ・フットボール・クロニクル」を連載中。「釜本邦茂・ストライカーの技術と戦術」(講談社)「ワールドクラスの技術」「ストライカーの技術」(ベースボールマガジン社)「釜本邦茂・ストライカーの美学」などの著書もある。