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サッカーフォーラム in 兵庫
第一回「世界のストライカーと語る、世界のサッカー」
第二回「ピッチから見た世界のサッカー」
第三回「世界のサッカー、子供たちに夢を」
第四回「世界のサッカー、頂点に立つのは?」
第五回「世界への架け橋、サッカー!」
第六回(最終回)「ようこそ世界のサッカー、市民みんなで盛り上げよう!」

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サッカーフォーラム in 兵庫
第一回「世界のストライカーと語る、世界のサッカー」
第一回「世界のストライカーと語る、世界のサッカー」
日時:2001年6月9日(土) 18:30開演
会場:兵庫県県民会館「けんみんホール」
主催:兵庫県サッカー協会
後援:兵庫県、兵庫県教育委員会 、神戸市、神戸市教育委員会
協力:ヴィッセル神戸、FC JAPAN
ワールドカップをむかえるにあたり、今一度サッカー、ワールドカップ、そして神戸のサッカーについて知り、語り合うことで、2002以降につながる無形の財産づくりをめざすという趣旨のもと、神戸で生まれ育った日本最年長のサッカージャーナリスト賀川浩をコーディネイターとして開催される「サッカーフォーラム in 兵庫」。
第一回は日本サッカー史上最高のストライカーであり、現在はサッカー協会副会長としてサッカーに貢献しつづける釜本邦茂氏をゲストに、サッカーを語っていただきました。


■ワールドカップを語る
■釜本選手の現役時代を見る
■ストライカーの資質
■サッカー界の代表として
■ストライカー、そしてトルシエ

 
 

■ワールドカップを語る

――まずお二人はこれまでワールドカップを何度も生でご覧になってきたわけですが、賀川さんは74年からですから、これまで7回の大会をご覧になられているわけですね。

賀川浩(以下賀川): 世界の記者仲間では、「まだ7回」と言われます(笑)。

釜本邦茂(以下釜本): 最初に観に行ったのは、66年のロンドンでした。 プレーヤーにとっても最高の舞台であり、世界的に見ても代表チームの試合は、現在最高のエンターテイメントです。ピッチがあり、サポーターも含む全員がエンターテイナーです。選手としては66年はアマチュアだから出られないと言われ、69年は予選のときに病気をして出ることができず、残念な思いをしました。

賀川: これまで大会を見ながら,「このチームに釜本がいたら」とよく考えました。68年にメキシコ五輪で銅メダルを取り、クラマーはこのチームで70年大会に出したいという野心を持っていたようですが、釜本選手の不在のために叶わなかったわけです。

――さて、来年の本大会では日本代表はどのような活躍を見せてくれるでしょうか?

釜本: まずは抽選でいいカードを引くことですね。イタリアとブラジルなんて入ってきたら、これは悲劇ですよ(笑)。

賀川: ホームですから声援は励みになります。98年のフランス大会では大会が始まるまでは、フランス人には熱狂はないと言われたものですが、勝つごとに国民は熱狂し、試合の後にシャンゼリゼが群集で埋まりました。

 


■釜本選手の現役時代を見る

――では今日は若いお客様も多く,釜本さんの現役時代のプレーを見たことがない人も多いのではないかと思います。スライドで見ていきたいと思います。


▲1981年日本リーグ通算200ゴールのシュートシーン

▲左の写真と同じ試合でのシュートシーン
釜本: いいフォームでしょ。ビューティフルでしょ(笑)。

賀川: 日本の記者は彼の特徴を力強さと言ったけども、ボールを蹴る形の美しさを外国の記者はエレガントと表現していました。しっかり踏み込んで、立ち足に体重を乗せ、目は最後までボールを見ています。


――1984年に行われた引退試合の写真です。40歳とのことですが、若いころとフォームは変わりませんね。


▲ 1984年に行われた引退試合でのシュートシーン
賀川: 引退試合では、6万人が入り、オベラーツとペレが応援に駆けつけてくれて、最後は二人で釜本を肩車してくれました。

釜本: 練習不足で、90分持つかどうか心配だったですが(笑)。  

▲ 引退試合後のシーン

 

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■釜本 邦茂 日本サッカー協会副会長
1944年 京都、太秦に生まれる。
太秦小学校、蜂ヶ岡中学から山城高校に進学。熊本国体で優勝を飾り、全国に名を知らしめる。早稲田大学に進学後は、関東大学リーグで4年連続の得点王、64年天皇杯優勝などを果 たし、同年に日本代表入り。東京五輪ではアルゼンチンを破り、ベスト8に進出した。卒業後はヤンマーに入社。2度目のオリンピックとなった68年のメキシコ五輪では6試合で7得点を決め、得点王に輝くとともに、チームを銅メダルに導いた。ヤンマーでは71年の天皇杯優勝から5シーズンの間に日本リーグ優勝3回、天皇杯優勝2回。
13年間にわたり活躍した日本代表では241試合で158ゴール。ユース代表から、世界選抜まで694試合で記録したゴールは、548にのぼる。日本サッカーが生んだ、史上最高のストライカーである。

■賀川 浩 スポーツライター
1924年神戸生まれ。
神戸一中(現神戸高校)、神戸商大(現神戸大学)、大阪サッカークラブなどの黄金期に選手として活躍。全国大会優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝など。1952年から新聞社のスポーツ記者となり、ワールドカップ6回、欧州選手権4回、コパ・デ・オーロ、南米選手権などを取材し、現役ジャーナリストでは最年長。
現在はウェブサイトFCJAPAN(http://www.fcjapan.co.jp)にて「KAGAWA SOCCER LIBRARY」を主宰。過去の著作を公開すると同時に、それに付随するデータやメモと共にデジタルデータ化して、サッカー界の知的財産を集積している。専門誌ではサッカーマガジンにて「マイ・フットボール・クロニクル」を連載中。「釜本邦茂・ストライカーの技術と戦術」(講談社)「ワールドクラスの技術」「ストライカーの技術」(ベースボールマガジン社)「釜本邦茂・ストライカーの美学」などの著書もある。